イタリアという“若い老国”の物語〜都市国家の名残と、今も息づくジェスチャー文化〜

ミラノ

イタリア――ローマ帝国やルネサンスの時代を思い浮かべると、「歴史の深い国」というイメージを持つ人が多いでしょう。
しかし、意外にもイタリアという国家そのものは、まだ“若い”のです。

日本が大化の改新(西暦645年)から国としての体制を整えていたのに対し、イタリアが統一されたのはなんと1861年
明治維新のわずか7年前。
つまり、日本の近代国家としての歴史の方が“先輩”なのです。

だから「イタリアは新しい国」と聞いて驚く人も少なくありません。
けれど、それは“国”としての話。
土地の歴史や人々のプライドは、ローマの時代から連綿と続くほど深いのです。

目次

イタリアはもともと「都市国家の寄せ集め」

現在のイタリアは、北はアルプス、南は地中海に浮かぶブーツ型の国。
でも19世紀までは、バラバラの「都市国家」や「小国」の集合体でした。

ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェのメディチ家、ナポリ王国、教皇領ローマ…。
それぞれが自分の文化、言葉、通貨、法律を持ち、いわば“独立した国”のような存在だったのです。

商業で栄えた北、芸術で花開いた中部、そして陽気な南。
同じ「イタリア半島」に住みながら、まるで別世界。
それぞれの都市が競い合い、時には戦い合い、そして驚くほどの文化を生み出しました。

この「競争」と「誇り」が、後のルネサンス文化を生み出したと言っても過言ではありません。

“イタリア語”が通じなかった時代

さて、そんなバラバラな都市国家の人々。
当然のことながら、話す言葉も違いました。

トスカーナ地方の方言が「イタリア語」の基礎になる以前、
ミラノ人とナポリ人が出会っても、言葉がまったく通じなかったのです。
下手をすると、同じ国どころか外国人同士の会話のようなもの。

ではどうやってコミュニケーションを取っていたのか?
答えは――ジェスチャーです。

「手が語る国」イタリア

イタリア人がよく手を動かして話すのは有名ですよね。
電話越しでも手を動かしているというジョークがあるほど。

これは単なる癖ではなく、歴史的なコミュニケーションの名残なのです。
言葉が通じなくても、身振り手振りで伝えるしかなかった。
だからイタリア人の“表現力”は、まさに生きるための技術でした。

たとえば――

  • 指をすぼめて上に向けて「何してるんだ?」(Che vuoi?)
  • 額に指を当てて「頭おかしいんじゃない?」
  • 手のひらをくるくる回して「急いで!」

これらは今でも日常的に使われています。
しかも地域によって意味が違うこともあるから面白い。
フィレンツェで「OK」でも、ナポリでは「バカにしてるのか?」ということも。

まさに「手話文化」と「方言文化」のミックス。
これぞイタリアならではの“身体言語”です。

統一されたけど、心は今も「地域国家」

1861年、ガリバルディやカヴールらの活躍によってついにイタリアは統一。
でも、「やっと一つになった!」というよりも、
「とりあえず一緒にやってみようか?」という空気が漂っていました。

なぜなら、それまでの独立意識が強すぎたからです。
トリノの人に「あなたはイタリア人ですか?」と聞いても、
「いや、ピエモンテ人だ」と答えたとか。

実際、今でも地域間のプライドはとても強い

  • ミラノ人は「俺たちは効率的で働き者」
  • ナポリ人は「俺たちは情熱的で人情深い」
  • トスカーナ人は「俺たちこそ文化と芸術の中心」
  • シチリア人は「俺たちは“本当のイタリア”だ」

こうした“お国自慢”が延々と続くのです。
イタリア旅行で感じる「都市ごとの個性」は、このプライドの現れなのです。

北と南のギャップは「文化の宝庫」

イタリアの面白さは、北と南で全然違う国みたいなこと。

ミラノではファッションショーが開かれ、
人々は朝からカプチーノとクロワッサンで出勤準備。
一方ナポリでは、通りのカフェで「エスプレッソ1杯30秒立ち飲み」。
その後はバイクで風を切って走る。

どちらも「イタリア」だけど、リズムも価値観も別世界。

料理もまた違います。
北ではバターとチーズ、南ではオリーブオイルとトマト。
同じ“パスタ”でも全く別の味。
この多様性が、イタリアの食文化の豊かさを支えています。

文化の“バトンリレー”としてのイタリア史

イタリアの歴史を振り返ると、
古代ローマ → 中世の都市国家 → ルネサンス → 統一国家
という流れの中で、それぞれの時代が次の時代にバトンを渡してきたのがわかります。

ローマは法律と都市設計を、
中世は信仰と商業を、
ルネサンスは芸術と人間の自由を、
そして近代は民主主義と文化の融合を生み出した。

一つの国でありながら、まるで文明の縮図のような存在なのです。

そして現代:バラバラだから面白い国

今のイタリアも、経済的には北が強く、南が少しのんびり。
政治的にも意見が分かれ、サッカーでも地域対抗意識がすごい。

でも、それこそがイタリアの魅力。
多様性を受け入れ、誇りを持って生きる人々がいるから、
イタリアという国は“若くて老いている”独特のバランスを保っているのです。

そして、彼らのジェスチャーには、
今も昔も変わらない“人間らしさ”が詰まっています。

おわりに:国境よりも「人間味」でつながる国

イタリアは、一見まとまっていないようで、実はとても人間的。
「郷土愛」と「誇り」と「おしゃべり」と「手の動き」でつながる国。

ひとつの言語、ひとつの旗、ひとつのサッカーチームにまとまった今でも、
そこには“街の魂”が息づいているのです。

だからこそイタリアは――
「国家」ではなく、「人間たちの物語の集合体」なのかもしれません。

まとめ

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この記事を書いた人

イタリア車と暮らし、イタリアで学んだ“美しい生き方”を伝える。イタリア車オーナー歴15年以上。
アルファロメオやフィアットなどのデザインと走りに魅了され、
日常の中で“イタリア流の情熱”を体感してきました。
内装メンテナンスや電装品補修など、DIY整備も自ら行う実践派。
イタリア・フィレンツェに3年間留学。
芸術・デザイン・食文化を学び、現地のライフスタイルを肌で吸収。情報サイト「SOLENTIA」の記事を執筆。
現地での経験と長年のオーナー視点をもとに、
“本場の美学とリアルなイタリアの空気”を伝えている。

SOLENTIAとは

SOLENTIA(ソレンティア)は、
イタリア語の「Sole(太陽)」と、
「Essentia(本質)」を組み合わせた造語です。

“太陽の本質”“光のエッセンス”という意味を込めて、
イタリアの情熱・温かさ・そして生きる歓びを象徴しています。

イタリア車に乗り、イタリア料理を味わい、
ときにはイタリアを旅する——
そんな“日本にいながらイタリアを生きる”ライフスタイルをテーマに、
SOLENTIAは、クルマ・美食・旅を通じて
日常に「イタリアの光」を届けるメディアです。

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